內文如標題所述,各時期網路訪談會不定期更新,一方面是自己想回顧過去各時期的flumpool,另一方面想練習日文,試著用自己的語言去記錄下各時期的他們。這篇不會有太多個人見解,不專業的紀錄連翻譯都不算,大家就輕鬆點看吧。

 

 

推出五週年精選所做的訪談(原文:http://www.diskgarage.com/feature/interview/1403flumpool/) 

 

「デビューして1年目で武道館をやらせてもらったんですけど、あの時は自分たちの足で歩いている実感があまりなくて。ずっと夢見てた武道館だったんですけど、現実はちょっと違ってました。で、去年武道館をやって…“まだ全然足りてないな”と思えたのが、逆に地に足がついたということかな?と思うんですよ。これから先こうしていけばいいんじゃないか?って、すごく感じるところがあったので」

 

「出道一年的時間就踏上武道館,不過當時並沒有憑藉自己實力踏上舞台的實感。現實中的武道館時似乎與一直夢想的中的不同,雖然去年在武道館舉行了演出會,但仍覺得實力完全不夠,換句話說我想腳仍沒踏在實地吧。接下來若能行的話不是也行嗎?現在深刻地體認到這個部分。」

 

「flumpoolは、今、変わらなきゃいけないなと思うんですよね。今までは自分自身、flumpoolというイメージをちゃんと背負えてない気がしていて、これからは“縛り付けてでも絶対そこにいるぞ”という気持ちで、みんなの思いを受け止めに行けるバンドになりたいんです。正直、いろんなことがうまく行きすぎてた5年間だと思うんですよ。そこで自分たち自身も、うまく行こうとすることばかりを考えてたというか。自分たちで言うのも何ですけど、真面目なバンドだと思うし、努力はし続けてたんですけど(笑)。もっと果敢に挑戦し続けて、もっと自分たち自身を伝えに行くことが大事だと今は思ってます」

 

「但我想現在的flumpool不得不去改變。一直以來並未好好地背負起「flumpool」的印象,抱著「被束縛也絕對會一直在」這樣的心情,希望能成為大家贊同的樂團。說實話一直覺得這五年很多事都太過順遂。不得不讓我深思,是不是我們總是被動的接受那些好事?雖然要我自己來說的話,我認為我們是個認真的樂團、也一直努力(笑)但我認為現在,最重要的是要接受勇於挑戰,向更多的人傳達。」

 

「どの場所でも、今日も明日も同じものが見られるのはライヴじゃないと思うし、それがこの間の武道館で感じたことなんですよ。“まだライヴ感が足りないな”って。武道館の最後に『大切なものは君以外に見当たらなくて』を弾き語りでやった時に、ストリートでやってるみたいな自由さを感じて、あれがひとつのヒントになってるんですけど。もっとああいうシーンを増やしたいし、ステージでいろんな挑戦をしたい。今回のツアーは、flumpoolのライヴに初めて来る人にとってわかりやすく楽しめるツアーで、その上で、これまで来たことのある人には、“あれ、flumpoolってこんなんだっけ?”という、いい意味での驚きを持てるものになると思います。すごく自信のある新曲もできたし、それもきっとやります。だから、どうしても来てほしい。みんなに伝えたいんです」

 

「”live實力仍舊不夠啊...“武道館最後演唱「大切なものは君以外に見当たらなくて」時獨奏獨唱那瞬間自由的感覺打動了我,站在台上希望接受更多的挑戰,看到更多那樣景象。對於首次來到flumpool演唱會也能輕易地感受到其中的樂趣,我想曾看過演出的人則會訝異“咦,這是我知道的flumpoo嗎l?”。完成了非常有自信的新曲,巡演時一定會演唱這首歌,所以無論如何都希望大家能來演唱會,想要向大家傳達。」

 


 

 

201610-flumpool_l_full  

(原文:https://www.cinra.net/interview/201610-flumpool

 

2008年に“花になれ“でメジャーデビューを果たしたflumpool。次々にヒット曲を生み出し、2009年から3年連続『NHK紅白歌合戦』に出演するなど、デビュー直後から順風満帆のように見えた彼らだが、実は様々な試練や葛藤を乗り越えてきたという。一時はバンド存続の危機を迎えながら、それでも作品を作り続け、歌い続けてきた。

 

今回CINRA.NETでは、ボーカルの山村に、flumpoolの今日までの道のりを振り返ってもらった。

 

2008年以「花になれ」這首歌曲正式出道的flumpool,在出道後推出一首又一首的熱賣歌曲。2009年連續三年受邀參加NHK電視台年末盛事「紅白歌合戰」,在大家眼中主流出道後一帆風順的他們其實經歷了許多考驗,而他們又是如何在那段攸關樂團存續的時期繼續創作新作品持續歌唱到今日的呢?這次請到主唱山村先生和我們一同回顧flumpool這些年來的歷程,就讓我們一同探討究竟什麼是他的原動力吧。

 

―flumpoolの前身は、山村さん、阪井さん(一生 / ギター)、尼川さん(元気 / ベース)の三人で始めたアコースティックギターユニットだったんですよね?

 

—flumpool前身組成主要成員為山村、阪井、尼川三位成員是以原音樂為主對吧?

 

山村:最初は普通にバンド編成だったんですよ。アコギでやろうと思ったのは、コブクロさんの影響です。楽器と歌とコーラスのアンサンブルで人を感動させることができるって、すごいなと思ったんです。地元の松原市(大阪)に広場みたいなところがあって、夜中になるとそこへ行って練習していましたね。3人編成だったのは、コブクロさんよりも人数が多ければ、少しはすごさに近づけるかなと思ったから。安易ですよね(笑)。 

 

山村:起初只用最基本的編制組成樂團,這是受到可苦可樂的影響。僅透過樂器、歌曲、和聲就讓人感動,對此我感到非常地敬佩。在我們的故鄉松原市裡有一個類似廣場的地方,夜裡我們都去那裡練習。當時組成的成員有三個,因為成員人數比可苦可樂來的多,就認為這樣可以更接近他們一點,當時的想法實在太簡單了(笑)

 

―当時、音楽活動をやっていた一番のモチベーションは?

 

—當時開始進行音樂活動的動機是什麼?

 

山村:最初は「モテそうだな」と思ったから(笑)。人前に立つのは苦手なんだけど、「でも目立ちたい!」という矛盾を抱えていましたね。漫才師になろうと思ったこともあって(笑)、とあるスキー合宿のときに漫才を披露しようと(阪井)一生と練習してみたのですが、「これはないな」と思ってすぐやめました(笑)。

 

山村:起初只覺得「好像很受歡迎」(笑)。老實說我並不是很擅長站在人面前,「但又想引人注目!」,當時是抱著這種矛盾的心情。也想過要不要當相聲演員,和一生在滑雪集訓時曾一起試著演相聲,但意識到「實在沒可能」馬上就放棄了(笑)。

 

―2007年に小倉さん(誠司 / ドラム)が加入して、バンドで上京してきたときは、すでにデビューが決まっていたのですか?

 

—2007年鼓手小倉加入,隨後樂團決定去東京是因為當時已經確定可以出道了嗎?

 

山村:決まってはいたんですけど……「ホンマにやっていけんのかな?」という不安が大きかったです。就職するべきか、音楽を続けるべきかで散々悩んで、「音楽に賭けてみよう」と一大決心して東京に出てきたぶん、毎日が不安でした。

 

山村:確實是已經確定了沒錯....但更多的是「我們真的能行嗎?」這樣的不安全感。當時很煩惱究竟要選擇求職?還是繼續音樂這條路?「就在音樂這條路上賭一把吧」下了決心去到東京,上京後每天仍感到不安。

 

―当時よく聴いていた音楽はありますか?

 

—在當時有很常聽的音樂嗎?

 

山村:THE BEATLESの“Can't Buy Me Love”ですね。「俺、こんな不安な気持ちを抱えながら、なんで東京におるんやろ」って、自分の居場所のなさを感じていたときにこの曲を聴いて、「こんなにワクワクするような気持ちにさせてくれる音楽って、やっぱり素晴らしいものだな」と改めて思えたんです。

 

自分の居場所がないような気がするときって、誰にでもあるじゃないですか。でも音楽は、自分にとって心地のいい居場所を与えてくれる。僕は当時この曲を聴いて、もう一度頑張る力をもらったんです。

 

山村:披頭四的“Can't Buy Me Love”。「抱著這種不安的心情,我到底為了什麼來到東京」,只要找不到自己定位的時候我就會聽這首歌。 「像這樣能讓人感到興奮的歌曲,果然還是很棒啊~」每次聽的時候都會這麼想。

 

每個人都會有找不到容身之處的時候,對我來說是音樂給了我。當時聽著這首歌就會讓我獲得再努力一次力量。

 

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